この記事の最終更新日は 2021年12月2日 です。現在は状況が異なる場合がありますので予めご了承ください

大正ロマンをつくる!大正時代の布団と寝具の歴史をちょっと紐解く

 

大正時代には、何とも言えない「不思議な魅力」がいっぱい詰まっています。

知ってるようで、意外と知らない大正時代。

 

この記事では、大好きな大正ロマンを作り上げている、大正時代の生活を少しずつ紐解いていきます。

 

大正時代のお布団を調べていくと、一緒に布団の歴史を知る羽目となり・・・。

 

日本人だから布団って当たり前の存在と思ってましたが、調べていくと「あらら~!」意外な歴史がわかってきました。

 

目次

大正ロマンをつくる!大正時代の布団って現代のものと同じですか?

 

まずは結論から!!( *´艸`)

 

 

大正時代には、現代と同じ長方形の掛け布団と敷き布団が存在している。

存在はしてるけど、お布団で眠ることができるかは別問題!!

 

 

というのも、現代のように一般庶民がふとんで眠れるようになったのは、明治半ば以降だったそうで。しかも、庶民の中でも一部の人しか布団で眠れなかったのだとか。

 

農村部などは、藁のかます(藁で編んだ簡素な敷物)、もみがらなどで寝る習慣は残っていたそうです。

 

要は、床にゴザ敷いて寝るってことですよね?

背中痛そう・・・。

 

 

じゃあ、今のような長方形のお布団になる前って、何を敷いて寝てたの??って疑問が沸々と沸いてきたんですけど。

 

NHKの大河ドラマとかをみてたのに、使ってた寝具の記憶は全くなし!!

親と一緒に子供のころから大河見てたくせにね~(笑)

 

布団って、日本人には当たり前の寝具と思ってたけど、どうやら違ったみたい。

では、ちゃんと布団の歴史を紐解いていきましょう!

 

 

 

大正ロマンをつくる!寝具の歴史をちょっと紐解く

 

古代すっ飛ばします(笑)

 

 

~平安時代

超ぶっちゃけ簡単にまとめます。

 

農民:藁に潜って寝る
貴族:畳の上に寝る
掛け布団はまだ無く、着ていたものを掛けて寝た

 

え~っ?

農民、かます敷いて寝るよりひどくね?藁に潜って寝るんだって。

でも、藁に潜るから暖かいのかな?なんていろいろと想像してみたりして。

 

ハッキリ言ってびっくりしたのが、貴族なのに畳の上に寝る。

布団、やっぱりないのね・・・。

 

しかも着ていたものを掛けて寝た、ということは「すっぽんぽん」で寝るのが普通だったってことのようです。

 

 

 

江戸時代

いきなりすっ飛ばしてきたように思うでしょうが、そうではなく。(大きな変化なかったんで端折りました)

 

 

布団の出始めは、江戸時代なんですね~。

 

しかも、「布団=敷き布団」を意味し、やっぱり掛け布団は無いんですよ。

 

 

その代わりと言っちゃあなんですが、「夜着(よぎ)、掻巻(かいまき)」が江戸時代に普及しました。

 

 

掻巻は、関東より北の地方では今でも使われています。

東北じゃあ当たり前に使ってるよね。うちのばあちゃん、使ってた(*´▽`*)

 

画像はイメージです。

着物に綿を入れてフコフコに作ったみたいな感じです。

 

夜着は掛布団の一種。綿が入り着物の形をしていて「かいまきふとん」とも呼ばれます。掻巻の方が、馴染みますねぇ。特徴は肩がおおわれて暖かいこと。

 

 

原型は鎌倉時代に武士が着ていた「湯帷子(ゆかたびら)」と言って、浴衣の原型だそうですよ。

 

生地は上質のものでは絹で友禅染。庶民一般には藍染による麻や木綿製、縞や*絵絣、中型染め、*筒描で模様を描いたものなどがあったとのこと。

 

*筒描とは⇒筒描藍染|しまね観光ナビ

*絵絣とは⇒ヌキ絣(絵絣)をつくる|下川織物

 

 

昔は自宅で手作りだったと思いますよ~。

ばあちゃんちの掻巻、パッチワークのようにいろんな生地で作られてたもん。

 

しかも綿は画像の掻巻みたいにフコフコではなく、もっとペラペラでした。

で、重いの。あんまり好きじゃなかったな。

 

 

 

江戸時代の布団の値段

当時の布団はめっちゃ高価な品だったようです。

3枚で100両以上したとのこと。

 

今のお金だといくらになるんでしょう?

 

調べてみたところ、江戸時代のいつ頃かにもよりますが、幕末だと一両=4000~1万円ほど。計算すると、なんと100万円にもなります!

 

江戸時代初期なら一両=10万円前後で計算すると1000万円!!となります。

びっくりだけど、これじゃあ庶民の手には入らないですね。

 

 

 

江戸時代末期・幕末

幕末になると衿・袖のつかない長方形の夜着が作られるようになりました。

四隅に額縁のような縁をつけたもので現代の敷布団と同じ長方形になったそうです。

 

この頃から上掛けを大蒲団や掛ふとん、敷く方は敷蒲団と呼ぶように。

 

 

先日見た、NHKの大河ドラマ「晴天を衝け」の中で、主人公の渋沢栄一と喜助が貸し蒲団で寝るシーンがありましたが、ペラペラの掛け布団でした。

 

敷き布団は敷いてなくて布一枚を敷いて寝てましたね。

幕末のお金が無い庶民の寝姿、寒々しかったですよ~。

 

 

 

明治~大正時代・昭和初期

高価な布団が、ようやく一般庶民に普及し始めたのが明治時代の頃だそう。明治21年からインド綿が大量に輸入されるようになり、綿の価格が安くなってきます。

 

現代のように、一般庶民がふとんで眠れるようになったのは明治半ば以降。布団が庶民の家財道具となったのは、意外にも近代になってから、というからホント驚きですね。

 

 

 

昭和時代戦前

今では「布団は買うもの」という認識ですが、戦前までは「布団は家庭で仕立てるもの」布団屋はまだ存在せず、綿屋がメインだったそうです。

 

綿といっても、今のような羊毛などは無くて、*真綿や木綿わたを取り扱っていたようです。

 

 

*真綿(まわた)とは・・・蚕(かいこ)の繭(まゆ)からつくる繊維。絹ですね。糸なら絹糸、綿なら真綿。シルクの綿なんて超高級品ですね。

 

*木綿わたとは・・・アオイ科の植物ワタからとれる繊維で、コットンといえばイメージがつくと思います。

 

 

 

昭和戦後

綿の布団は、ようやく庶民にも広がりはじめますが、東北地方の貧しい地域では、綿の布団はやはり高価な品だったようです。

 

昭和30年ぐらいまで昔と変わらず、わら布団(麻などの袋に藁を詰めたもの)やアマモなどの海藻を詰めた布団を使っていたらしいんですね。

 

昭和30年っていったら、戦後10年も経ってるわけですが、ようやく高度経済成長期に入ったばかり。

 

この後の日本経済は右肩上がりになっていくわけですが、昭和30年の日本はまだまだ貧しい人の方が多かったんだろうと思われます。

 

 

昭和になり綿の布団の普及率はどんどん上がったようですが、昭和40年ぐらいまでは、へたってくればわた屋で打ちなおし、量が減った分は足し綿を買って仕立て直して使うのは当たり前。

 

明治・大正時代と同様、大切な家財道具として長く使われていたようです。

 

 

 

昭和時代後期

高度経済成長期以降の日本。モノに恵まれて生活していたように記憶してます。

 

敷き布団の下には、ウレタン製のマットあり。

羽根布団なるものも登場します。

 

他にも健康を謳う敷き布団など、いろいろな商品が販売されてます。

 

 

 

まとめ

 

・布団というと敷き布団を指しており、江戸時代に出始めた

・布団が出るまでは、床に寝ていた

・布団は明治時代になってから普及

・布団は打ち直ししながら大切に使われてきた家財道具だった

 

 

今回は敷き布団メインの内容でしたが、実はとってもぜいたく品だったことがわかり、布団に対する見方がちょっと変わりました。

 

現代の布団は進化し続け、いろいろなタイプの布団がある反面、使い捨てされるものが大半を占めるようになってしまいましたね。

 

少しでも長く使えるよう、ミムラも大切に扱っていこうと思いました。

 

 

 

・今回は触れませんでしたが、羽毛掛け布団について。

 

ミムラは羽毛掛け布団を使ってるんですが、羽毛布団って打ち直しできるんですよ。

メーカーにもよるかと思いますが、ミムラの持ってるメーカーの羽毛布団は羽毛を足して、生地も新調してくれるんだそうです。

 

今年か来年あたり、打ち直し検討しています(*´▽`*)