この記事の最終更新日は 2021年12月1日 です。現在は状況が異なる場合がありますので予めご了承ください

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!

 

この1年ほど、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版をヘビロテ読書中!!

 

この本は重版や文庫本化しているので、かなりの人が読んでいると思うのですが、読むたびに違う気づきを得られます。

 

片付けられないADHDのミムラが「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を、ADHDの立場で読むと、著者のある言葉に思わず反応してしまう・・・。

 

今回は「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から、ADHDが思わず反応して行動に移せてしまった言葉たちをまとめてみました。

 

片付けたいけど片付けられないADHDは、ぜひ参考にしてみてくださいね♪

 

目次

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!ADHDが思わず反応して行動に移せてしまった言葉たち

 

「脳のメモリも、エネルギーも時間も、有限である」P101

 

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!

 

これはですね、そもそも脳のメモリが常に不足しているADHDにとっては、とても共感できる言葉でありました。

 

自分の脳ミソのキャパシティを忘れ、ついつい暴走してしまい、途中で電池切れ!!ということが多いADHD。

 

そのことを常に意識して冷静に行動するための、教訓となる言葉です。

 

 

「デッドスペースはデッドスペースのままにする」P116

ついついモノを詰め込みたくなるものですが、おっと!!デッドスペースにはあえてモノは詰め込まない。

 

で、今ある収納(クローゼット)に入る分・・・という思いを、ひっくり返されました。

「クローゼットに入る分だけという、凝り固まった考え方をやめよう!」と。

 

偏った考え方がいつまでも切り替えられないので、極端な教えはWellcomeです。

 

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!

 

 

「忘れていたモノは手放す」P119

その通り~( ´艸`)って思いましたよ。

忘れっぽいADHDは、しまい込んだら忘れる(笑)

 

で、片付けしながらそれをみつけて「こんなとこにしまってたんだ~」って物思いにふけり、時間を忘れ、結局片付かない。みたいなことの連続。

 

「こんなとこにしまってたんだ~」即、手放す!!以上。

 

 

「熱く語れないモノは捨てる」P131

四角大輔の著書で出てきたフレーズらしいですが、グッときますね、この言葉は。

 

確かに、いろいろと下調べをしてから買ったものって、そのモノが作られるまでの過程だったり、製作者の思いだったり、素材や機能のこだわりだったり・・・。いろんな方面からそのモノを調べます。

 

そこまでして買ったものは、大切に使うし、扱うことが多い。

こだわりの強いミムラは、「語れるものを残す」を基準に、モノを手放すことができますね。

 

 

「レンタルできるモノはレンタルする」P139

東京ほど拓けてない東北。レンタルさえ「すぐに!」というわけにはいかない場合もある。だけど最近はネットという、とても便利な機能が使えます。

 

地方にいたって関係なし!!今は、衣類や家電製品、家具などもレンタルできる時代。

年1回くらいしか使わないもので、レンタルできるものはレンタルで!

 

レンタルできないものは、身近な人に声をかけて、借りる手もある。

買わない工夫に気づかせてくれました。

 

 

「自分でミニマリズムを考える」P176

これはね、ちょっと考えさせられましたね。

 

「モノの少なさ=ミニマリスト」「モノトーン(白・黒)=ミニマリスト

”ミニマリストはこうあるべき”みたいな、変なミニマリスト像がはびこってる気がするんですよ。

 

だけど、著者の佐々木典士氏は言ってます。

「ミニマリストに条件は存在しない」と。

 

必要なモノは人によってそれぞれと、ミムラも思うのです。

 

 

例えば、佐々木氏と一緒にサイトをやってる沼田氏は車を購入したとのことだし、メンタリストDaiGoさんは、本は手放さないし(すごい量の本をもってますよね)。

 

 

「普通はこうしてる」「なんでみんなと同じようにできないの?」と人と違うことを指摘されて、それが悪いように言われ続けてきた身としては、なんかホッとしたんですね。

 

「人それぞれでいい」って素敵♡

 

 

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!ADHDは自分の特徴に合わせて、モノと向き合う必要があります。

 

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」増補版から学ぶADHDがモノを手放す方法!

 

 

増補版では、やまぐちせいこさんが書かれている「ミニマリストと家族 ミニマリストと発達障害」という文章が補講として追加されています。

 

その人が抱えている発達障害の特徴に合わせることの大切さが書かれています。

一般的に言われてる発達障害の特徴も、自閉スペクトラム・ADHDによってそれぞれ。

 

例えば同じADHDでも、持っている特徴は微妙に違います。また、症状の出方も軽度から重度と個人で違います。

 

また、発達障害(自閉スペクトラム・ADHD・学習障害LD)のそれぞれの特徴を併せ持つ人も多く複雑な場合もあるので、独自の向き合い方が必要と思われます。

 

 

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」補講版から学ぶADHDがモノを手放す方法!ADHDは優先順位をつけられないから、何度も読み込んでモノを手放そう!

 

ミムラ流「手放したい理由を明確にする」

ADHDで長年生きてきた経験からすると、本に書かれていた「手放せない理由を明確に感じ取る」ができないのです。というかそもそも手放せない理由がわからない。

 

今必要なくても、なぜ手放せないのか?は明確にできないんですよね・・・。

 

 

これはADHDの特徴のひとつ、たくさん選択肢のあるモノや事柄から、優先順位をつけて選び出す、ということができないためです。

 

 

だけど、「手放したい理由」はわかるんですよ。

なんか複雑で困っちゃうんですけどね。

 

 

・モノを避けながら掃除をすることが面倒・・・邪魔になるモノを手放す

・部屋の中や、床に置いてあるモノを片付けるのが面倒・・・片付ける必要がないくらいまでモノを手放す

・視覚に入るいろいろなモノの存在や色などがうるさく感じる・・・うるさく感じるモノを手放す、色を抑える

 

 

「手放したい理由=掃除や片付けが面倒だから、モノの存在や色彩がうるさく感じるから」という単純な答えです。

 

手間暇をかけるなど細かいことや、丁寧なことが苦手なためなのです。

 

 

書き出した「手放したい理由」を読んでいただいて気づきましたか?

「邪魔になるモノ」「うるさく感じるモノ」など大きなくくりになってます。

 

大きなくくりでなら考えられるんですが、一つ一つ手放せない理由を感じ取るなど細かいことは考えられません。

 

「ひとつひとつに対して」は、面倒と思ってしまいます。苦手なことに、集中力を継続するのは苦手なのです。

 

 

結局考えることをやめてしまうため、モノは手放せないし、片付かない。

もう「邪魔に感じるモノたち全部を手放す」しかないじゃないか~"(-""-)"

 

極端なことを言うと、「全捨て」もありなのかも・・・。

 

 

ショックな出来事や日常嫌なことから「モノを手放したい理由」が明確になる

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を繰り返し読んで、自分の中で何度も自問自答した結果、自分の中から導き出された答えと、ミムラのモノを手放したい理由はこうです。

 

 

「身体的苦痛・精神的苦痛を何とかしたい!!」これだな。

 

 

ミムラは、ADHDのいろいろな特徴から、日常生活自体に何かしらのストレスがあり、いつも疲れてる・・・ということを前提として抱えているのですよ。

 

 

・視覚過敏であり、視覚からの情報にストレスや、強い疲労感を感じる

・強い疲労感により、体を動かすことが辛く、何もしなくなる

・二度の大地震体験による大物、大量のモノへの恐怖感(モノは倒れ、飛びます)

 

他にも身体的に肌触りにこだわるとか、手に馴染むかとか・・・etc

人があまり気にしないことが気になってしゃ~ないとか。

 

 

面倒っちゃ面倒です(;^ω^)

 

 

まとめ

 

自分だけの価値観だけだと、モノへのみかたが凝り固まってしまいますが、いろいろな人の考えや意見が、新しい発見や気づきを与えてくれますね。

 

だから、世のミニマリストと呼ばれてる人たちの考えがまとまってる本やサイトはおもしろい。

 

その上で、自分のモノを手放したい理由が明確になれば、さらに作業がはかどりそうです。

 

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。増補版 (ちくま文庫)