この記事の最終更新日は 2021年6月19日 です。現在は状況が異なる場合がありますので予めご了承ください

地震とマンションと在宅避難の備え:マンション在宅避難のススメ!

 

災害時はみんな避難所へ行くんじゃないの?在宅避難ってなに?

東日本大震災時の在宅避難の体験談を聞きたい。

東日本大震災規模の地震は未体験、具体的に何を揃えて、どう行動したらいいの?

 

今回の記事でわかること。

 

実際の在宅避難でライフラインが回復するまでの実際の生活体験談。

在宅避難生活を想定する上で必要な備え、備蓄物等、書いています。

 

目次

地震とマンションと在宅避難の備え:マンション在宅避難のススメ!

 

東日本大震災から早10年、なぜか震度5以上の地震が頻発してるけど、備えできてますか?

 

あの東日本大震災を東北の地で体験した者たちですら、恐怖を覚えるこの頃なのです。

嫌じゃないですか!またあの体験するの。

 

と、前置きはこれくらいにして、いきなり本題に入り、結論を申し上げますね。

 

 

「被災後に自宅で生活できる状態なら、避難所へ行く必要なし!」

ましてや、鉄筋コンクリート造りの丈夫なマンションならなおのこと、です。

 

 

なんでそんなこと言うの?って疑問や反発、わかります。

 

「最寄りの避難所がどこか、きちんと確認しておきましょう!」って言われるし、防災マップにも書いてありますもんね。

 

 

 

最寄りの避難所に身を寄せないければならない人たちとは、どんな人?

避難所とは、雨風がしのげない、また次の余震で倒壊の危険性のある脆弱な建物に住む人を優先して避難させる場所とのこと。

 

 

地震の規模や都市直下型となると絶対とは言えませんが、マンションというのは、大きな揺れで建物に亀裂や破損を生じることはあっても、倒壊し人が生き埋めになることはまずないと言われているそうです。

 

 

つまり、マンション住民は在宅避難生活を送れるということになります。ただし、旧耐震基準のマンションではその限りではありません、という条件付きとなりますが・・・。

 

 

 

旧耐震基準と新耐震基準について

耐震基準は必要時、見直されています。

 

ちなみに、1981年(昭和56年)6月1日以降に建築確認を受けた建物に適用される建物が新耐震基準です。

 

 

超簡単にまとめると次の通りです。

旧耐震基準:大地震に対しては特に規定なし

新耐震基準:震度6強〜7の地震で倒壊・崩壊しない強度であることが最低条件

 

 

 

見直しのきっかけは、昭和58年6月12日に宮城県を襲った「宮城県沖地震」です。

ほんと、地震ばっかですよね・・・(ノД`)・゜・。

昭和53年(1978年)6月12日,17時14分,マグニチュード7.4(震度5)の地震が仙台市を襲いました。気象庁により「1978年宮城県沖地震」と命名されたこの地震では,現在の仙台市域(旧泉市・旧宮城町・旧秋保町の区域を含む。)で、死者16人,重軽傷者10,119人,住家の全半壊が4,385戸,一部損壊が86,010戸という多大な被害が生じました。この地震は,当時の人口50万人以上の都市が初めて経験した都市型地震の典型といわれました。

引用元:仙台市ホームページ|宮城県沖地震の概要

 

宮城県沖地震の被害を教訓に建築基準法が見直されて、改正されたそうです。

 

 

この時の記憶は今も鮮明に刻まれています。当時8歳でしたが、地震はトラウマ、恐ろしいものとしか思えません。

 

なのに、10年前にはM9.0の東日本大震災。最近では、M7~7.5クラスの地震が普通に起きてるって、どう考えても異常だし、地震のたびに恐怖に耐えなければならない。

 

 

話が逸れてしまいましたが、要は新耐震基準を満たした建物であり、大概の地震であれば、建物は耐えてくれる、というわけですね。

 

東日本大震災では、建物の崩壊で死者が多かったわけではありません。あの大津波さえ無ければ・・・東北の人間がみなそう思ってることです。

 

 

宮城県沖地震以外にも大地震を経験するたびに、建物の被害状況などを検証してるそうですよ。

 

改正を繰り返していることから建築基準法は「生きた法律」とも言われているとのこと。

 

 

では「マンションが在宅避難に向いている建物である」ということがわかったところで、次に在宅避難の条件とか、メリットデメリットについて、みていきましょう!

 

 

 

地震とマンションと在宅避難の備え:在宅避難の条件とメリットデメリット

 

大震災時の在宅避難の基本条件とは?

自分の住まいで生活が継続できる状態であることが大前提。

 

 

地震で怖いのは、建物自体の崩壊もありますが、家具などによる圧死もありうる、ということなんですね。

 

余談ですが、宮城県沖地震での死者の多くはブロック塀が倒れたことによる圧死が多かったと記憶してます。

 

本震で無事でも、「在宅避難中の余震で家具が倒れ下敷きになり圧死する」ということも考えられるんですよ。

 

 

・家具が倒れない、補強されている

・人が安心して居られる部屋がある

・いざという時に外へ容易に出られる、逃げ道が確保できている

・お風呂の残り湯がためてある

・飲み水、食料などの備蓄がある

 

 

 

ライフラインが回復し、ある程度の日常生活が送れるようになるまで、必要最低限の生活ができる状態と判断できたなら、在宅避難はあり!と考えてよいと思います。

 

ちなみに、東日本大震災のときの情報なんですが、宮城県民で避難所に避難したのは32万人(13%)、他の県民は211万人(87%)は在宅避難だったそうです。

 

 

ライフラインの全面復旧は200日ちょっとかかったとのことでした。

 

 

 

マンションの在宅避難のメリットデメリット

メリット

・他人に気を使わなくてよい、余計なストレスを受けない

・ペットがいる場合、一緒に過ごせる

 

デメリット

・自力で物資の調達や生活を維持していく必要がある

・食料などの物資の配給はない

・情報が不足がち

・電気が回復するまで、水道が使えない、エレベーターが使えない

 

 

ん~、あと他に何かあったかなあ・・・。

また、思い出したら、追記していきますね。

 

 

 

地震とマンションと在宅避難の備え:在宅避難の体験談・実際の生活

 

記憶を頼りに書いております。

 

震災当日、仕事から家に戻ってこれたのは夜も20時を過ぎてました。

見上げた夜空の星がものすごくきれいだったのを覚えています。

 

ケータイ電話は地震直後に一時的に繋がり、家族の安否確認ができました。

 

実家も自宅マンションも川沿いにあるため、津波による川の逆流が怖いと思い、マンション内に留まるよう子供たちに電話で伝えました。

 

津波についての知識は、先日亡くなった私の祖母が「おっきな地震が来たら、*末の松山か、すぐに高いところに逃げんだよ!!」って、事あるごとに話して聞かせてくれてました。

 

末の松山・・・宮城県多賀城市八幡にあり、大津波伝承が残されています

 

 

子供の時は「多賀城に住んでないミムラに末の松山の話されてもなあ・・・」って思ってたけど、ばあちゃんに感謝です。

 

 

 

ミムラ家が在宅避難できた理由

・マンションが免震構造で揺れによる被害がなかった(倒れたのはまな板一枚)

・元々、地盤が強い地域だった

・宮城県沖地震の経験から、食器棚や背の高い家具、大きな家財は一切置いてなかった

・子供たちも中学生以上となり、家族みんなで協力体制がとれた

 

実家に身を寄せることも考えたのですが、狭くて怖いのでやめました。

 

 

 

在宅避難初日(震災当日)

●ライフライン:電気・ガス・水道は使えず 

・水が出ないのは停電のため、ポンプが稼働しないから水が出ない(水道管破損が無い地域では、水は使用可)

・アロマキャンドルが役にたつ(普通のろうそくよりも置いた時に安定する)

・ラジオ(電池使用)を付けて情報を得る

・ケータイ電話(メールも)は繋がらず役に立たない、充電消費を避けるため使用せず

・自宅内備え付けの足元灯が懐中電灯の役割を果たす(取り外し可)

 

●備蓄:なし

・震災当日は買い物予定日だった(苦笑)

・仕事で安否確認に行った帰り道に、たまたまやっていたコンビニを発見!手に入れられる食べ物を手あたり次第購入

・停電のためレジが使用できず、おつりもないため、小銭が活躍(たまたま小銭いっぱい持ってたので、スムーズに買い物ができた)

・ちなみにこの時に購入できたものは、ペットボトルのお茶、プリン、マドレーヌ

卵やバターなど使ってる、カロリー高め、エネルギーになるものと、急いで購入したのを覚えています。

・水はペットボトルに溜め冷蔵庫へ入れてあったのと、作り置きの氷、ポット内のお湯でとりあえず何とかなる

 

●寒さ対策:3/11なのに雪が降ってました

・寒さをしのぐのに、ダウンジャケットを着て過ごす、毛糸の帽子、マフラー等自宅内でも着用する

・コタツは使えないけど、みんなで足を突っ込んでると意外と暖かい

・愛犬のケージに使ってない毛布を掛ける

・寝るときも服を着たままで、寒さ対策&いざという時に逃げられるように

 

●その他

・お金や通帳など大切なものはバッグにひとまとめにし、いつでも手元に置いておく

・靴は寝室へ

・トイレの流し水はお風呂の残り湯を利用

・トイレットペーパーは別袋に捨てる

・エレベーターは使えないため、階段利用

 

 

 

在宅避難:震災2日目

本来なら息子の卒業式でした。

なんの情報も得られないため、とりあえず中学校へ行ってみることに。張り紙がされ、卒業式はとりあえず延期(後日連絡する)との確認をとる。

 

体育館は避難所になっていて、たくさんの人たちでギュウギュウ詰めって感じでした。

自宅にいられてよかったと思いましたねぇ。

 

マンションのお友達は学校の体育館で一晩過ごしたとのことでしたが、足も伸ばせず、横にもなれず、余震で皆が騒ぐので、結局自宅マンションへ戻ってきたと話してくれました。

 

 

●職場へ出向き、今後の動きを確認

 

●実家へ出向き、両親の安否確認と食料確保

実家の方では、ガス以外のライフライン回復済み

 

●自宅マンションライフライン復旧せず

・マンション用水タンクから水を運ぶ(子供たちの仕事)

・調理はカセットコンロ使用

・暗くなったら寝る

 

●備蓄:近所の商店がやっていたので買い物ができる

・うどん3玉と他にも何か買ったような記憶あり

・この頃はまだ喫煙者だったため、タバコ購入

地震と余震、サバイバル状況のストレスからか、あの時の一服はめっちゃ旨かったんですよ・・・。

 

 

 

在宅避難:震災3~4日目

ミムラは仕事を休めず、毎日出勤。

職場では3日目にライフライン復旧、みんなケータイの充電しまくり(笑)

 

●自宅ライフライン

・3日目、ようやく溜まっていたメールがバンバン来るようになる

・電気、ガス、水道は復旧せず

・毎日子供たちが1Fまで水汲みにいく

 

●備蓄:少しずつ買い物できるお店が増えるが・・・

・ミムラが仕事を休めず、ゆっくりと買い物にも行けず

・仕事の途中で買い物できそうなお店があれば、ちょこちょこ寄ってみる

・子供たちに近所のスーパーに並んでもらい、必要なものが手に入れば買ってきてもらう

 

●食事:1日1~2食生活継続中

・仕事帰りに実家に寄って、翌朝用のおにぎりとお湯をもらう

 

●トイレ事情:水を使わなくていいように、ペットシーツを利用

・便器にペットシーツを敷き、そこに用を足す。くるんで捨てると臭いも漏れにくい。さらに新聞紙でくるめば、臭い漏れもシャットアウトできる

・トイレットペーパーは流さずゴミに捨てる

 

●清潔に関して

・おりものシートの利用:これを交換することで、ショーツの汚れが防げます

・赤ちゃん用おしりふき:陰部の清拭に使用、さっぱりします

 

この頃の記憶があまりないのですよ。なんでだろ?

 

 

 

在宅避難:忘れもしない震災5日目

仕事を終えて、自宅に帰るまでの状況は震災4日目とほぼ同じ。

日が暮れる前に、ある食材で簡単な調理で夕食をとる。

ろうそくの明かりでラジオを聴き、時々真っ暗な夜空を眺める。

 

ハッキリと時間は覚えてないんですけど・・・。

 

たまたま真っ暗な外を眺めてたら、周辺住宅がパパパパ~っと明るくなったんですよ!そうです。電気が復旧したんですね。

 

我が家はブレーカー落としてたので、慌ててブレーカーを上げて、電気の復旧に家族で万歳三唱でした。

 

次の瞬間、トイレのタンクに水が入り始めました。

電気が復旧したので、ポンプも復旧、水も使えるように。

 

すぐさまコタツ入れて、TVをつけました。

 

5日間ラジオからの情報のみだったので、世の中どんな情報が流れてるのか?さっぱりわかりませんでした。

 

 

在宅避難:6日目以降

●ライフライン:電気、水道が復旧

・ガスは、地域ごとに復旧時期が異なり、ミムラ家は3/31に復旧

 

●備蓄:並ぶ必要はあるが、食料などの購入がある程度可能となる

・おひとり様〇個等、しっかり限定されてましたが、混乱なく購入できる

・乳製品はなかなか手に入らず

 

●食事

・電気ポットやホットプレートの使用で調理できるもの

 

●清潔

・電気ポットで湯を沸かし、洗髪ができるように

・レンジで蒸しタオルを作り、体を拭く

・オール電化の同僚宅でお風呂をいただく

 

しっかりと入浴できたのは3/31、20日後でした。

 

 

 

結論とまとめ:津波被害が無く約1週間乗り切れれば、その後は何とかなる

 

簡単にまとめますね。

 

・被災後に自宅で生活できる状態なら、避難所へ行く必要はなく、在宅避難は可能

・「津波被害が無く、1週間乗り切れれば、その後は何とかなる」が、結論です。

 

●ライフライン:復旧には地域差がある

・電気、水道は5日目の夜に復旧

・都市ガスは震災20日後の3/31復旧

・市の下水処理場が津波被害にあり処理不可となる。トイレットペーパーは流さないなどの時期があった

 

●食料品・日用品など

・並ぶ必要があり、個数制限はあったものの、ほぼ1週間ほどで購入可能となる

・乳製品が普通に並ぶようになるのは、4月以降

 

●清潔面など

・ライフラインの復旧による

・お風呂に入って洗髪・洗体が当たり前にできるようになったのは3/31

 

●その他

・しばらくは余震が怖くて、洋服を着たまま寝ていた

 

 

 

 

最後に、これはいい!とミムラが思った、在宅避難のためのグッズ等を紹介します。

一つ目は、震災直後にあったらひとまず安心と思えるグッズをまとめたこれ。

 

 

二つ目は、ミムラが実際に購入し、備蓄している食料品たち。

 

 

 

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